Everyone has some special memories of childhood.

Listen to the stories, and please tell us your story.

KONISHIKI / Former SUMO wrestler, Musician
http://konishiki.net

Konishiki-san decided to become a professional sumo wrestler when he finished high school. A recruiter found Konishiki-san when he was enjoying surfing, and persuaded him to do sumo in Japan. Although Konishiki-san’s parents wanted him to be a pastor like his father, Konishiki-san chose to become a professional sumo wrestler. The story afterwards is the legend.

What was your childhood like?

When I was a child, I was living in a place called NANAKULI in Oahu, Hawaii. The place was so beautiful with mountains and blue ocean. I had many brothers and sisters living together. We did everything from cooking, doing laundry, and to cleaning the house. So I naturally got used to doing housework. By the time I became 18 years old,I developed a sense of responsibilities as a family member. In my typical childhood day, after all the domestic duties are done, I often went to the beach and played. My family liked having fun time together, going shopping, eating out, going to movies etc…

What sort of play did you enjoy most when you were a child?

I used to go to the beach and enjoyed surfing, running, doing football games.The beach was my training center and playground, but the beach could be a dangerous place for a small boy. I experienced a lot of dangerous situation there. Elder people would always come to help me when in trouble.Though the Hawaii residents were originally from various parts of the world, we were like one big happy family. So I felt safe and secure in that small area of Hawaii. I called my friends’ mother, “Mom,” older men & women, “brother & sister.” I felt most comfortable doing so. Everyone was my family.

Recently, Japanese family seems to be becoming smaller, because the young like to go to big cities wanting to pursue their dreams. It’s OK to do so, but I hope they go back to their hometown after fulfilling their dreams.

Speaking in JAPANESE

Durian-Sukegawa / Poet, Writer, Actor
ドリアン助川さん / 詩人、作家、道化師

1962年、東京都生まれ。詩人、作家、道化師。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。日本菓子専門学校通信教育課程卒。放送作家などを経て、1990年「叫ぶ詩人の会」を結成、詩の朗読とパンクロックを組み合わせたパフォーマンスが話題となる。1995年から2000年まで、全国ネットのラジオ深夜放送のパーソナリティーを務め、中高生を中心に人気を博す。明川哲也の筆名で『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』(文春文庫)『花鯛』(文藝春秋)『大幸運食堂』(PHP研究所)『ゲーテのコトバ』(幻冬舎)など、ドリアン助川で『バカボンのパパと読む「老子」』(角川SSC新書)など著書多数。現在、語りの道化師(アルルカン)として各地でライブ活動を展開、実践体験をもとに『朗読ダイエット』(左右社)も刊行した。(プロフィールは「あん」より)

「道化師の歌」http://durian-sukegawa.com/
「Come Come Everybody」http://www.tetsuya-akikawa.com/
「アルルカン・ヴォイス・シアター」http://arlequins-vt.com/
「地と風の向こうに」http://durian.ocnk.net/

《NEWS》ドリアン助川さん原作映画「あん」が、カンヌ映画祭(ある視点部門)オープニング決定しました!おめでとうございす!http://eiga.com/news/20150425/4/

・『あん』公式HPは、こちらから… 
・カンヌでの最新レポートは、こちらから…

★ウラハラ藝大記事も是非ごらんください。『あん』を執筆するにあたってのお話がご覧いただけます。http://urahara-geidai.net/featured/2015/04/02/5918/

Only in Japanese

Koji Yamamura / Animator・Movie Director
山村浩二さん / アニメーター・映画監督

山村浩二さんは、第75回アカデミー賞短編アニメーション部門正式ノミネート(日本人初)されたアーティストです。

http://www.yamamura-animation.jp

Only in Japanese

Taichi Hikida / Shamisen Player
匹田大智 / 三味線奏者

1991年5月29日大分県大分市出身。民謡三味線の師範である祖母・母の影響を受け、9歳より津軽三味線を始める。2006年に津軽三味線 福居流・福居慶大氏に師事。2012年、津軽三味線コンクール全国大会に初めて出場し、一般の部 優勝という快挙を果たす。オリジナル曲をはじめ、他ジャンルの楽器・パフォーマーとのコラボレーションや、劇伴作品への参加など、幅広い活動を行っている。次世代の感性を活かした、その演奏スタイルは、攻撃的な中にも繊細さを兼ね備え、日々進化し続けている。

YouTubeで演奏をみる…

Only in Japanese

Dainkei Tatekawa / Rakugo Storyteller
立川談慶さん / 落語家

立川流真打ち、慶応義塾大学初の落語家。
著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』『落語力』がある。

Florence Miailhe / Artist
フローランス・ミアイユ / アーティスト

フローランス・ミアイユさんは、アート・アニメーション界の旗手として世界的に注目を浴びているアーティストです。仏セザール賞受賞。

http://www.sankaibi.com/miailhe/miailhe_ryakureki.htm

Mrinalini Singh / Artist
ムリナーリニ・シン / アーティスト

12月31日 インド、ヒマチャルプラデッシュのシムラに生まれる。ムリナーリニとは、サンスクリット語で「蓮」の意。蓮をはじめ花々をテーマに、自由や生命の讃歌、(生きる喜び)を画布に表現する。ムリナーリニの生まれ持った力強さと限りない表現力は、多様性に満ちた無限の顔を持つ、祖国インドの性質そのものである。ムリナーリニはあらゆるものからインスピレーションを受け、そして創造とはまさしく永遠であり、人々を勇気づけるものであると考える。夫のへーマント・クリシャン・シン元駐日インド大使とともにヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアへと赴任を続けながら、普遍的な独自のアイデンティティを追求し、現在はインド在住。

Profileは、ギャラリーサンカイビより

図画工作に恋してた!

最初の思い出は学校がとても楽しかったことですね。父の仕事の関係で転校が多くて、しょっちゅう新しい学校に慣れる必要があったし、新しい友達を作る必要もあって、それはいつもちょっと頑張りが必要なことだったのですが、どの学校に行っても、「図画工作」の時間をいちばん楽しんでいました。お勉強の時間よりもアート系の時間が好きでした。

演劇やダンスなどみんなと一緒に取り組むものもすきでしたね。ダンスの時のキラキラした衣装とかお化粧したりするのも大好きでした。

スポーツも大好きでバスケットボール、陸上、バドミントン、卓球、などいろんなスポーツが好きでした。今でもゴルフとテニスを楽しんでいます。

Miyako Nomura / Artist
野村美也子 / アーティスト

野村さんには、ルンビニ幼稚園、佐伯聖徳保育園のロゴもつくっていただきました。

http://www.tis-home.com/miyako-nomura/works/2

へマント・クリシャン・シン元駐日インド大使

涙のトレイン・薄毛と床屋と記念写真

幼い頃の記憶で今も強く残っているのは、3歳の頃飛行機に乗った時のことです。当時の飛行機は余り上等なものではなかったので、気分を悪くする人も多かったのですが、私は平気で、キャビンクルーが次々に持ってきてくれるスウィーツをみんな平らげてとても楽しかった思い出があります。

次に列車に乗った時の思い出でトラウマになっているお話しをしましょう。私の父は待つのが嫌いなのでいつもギリギリに到着する癖があります。その時も駅に着くともう我々の列車は出発し始めていました。父は私と母を一等車両に乗せるのがやっとで、列車は動き始めていたので、自分はそこに乗ることができませんでした。私は、父が乗らなかったので、それからの一時間を大泣きをして過ごしました。実は父は列車の最後尾のところに乗っていて、次の駅に着いて止まった時に私たちのところへやってきました。そこで私はやっと泣くのをやめて静かに落ち着くことができました。その頃は携帯電話もなく、連絡の取りようもなかったので、私の子ども時代の最大のトラウマは父がおいてけぼりになったと思って列車の窓から泣き続けた時の気持ちです。

もう一つちょっと面白い思い出話をしましょう。1954年、4歳の時のことです。その頃、私の父の髪の毛が薄くなってきたのです。父はヨガなどの体操の中で倒立をしていました。最初父は頭をつけて30分も逆立ちをするのが原因だと思っていました。あるひとが「髪を剃ってみたらどうだろう、もしかしたら髪の毛がグッと強くなって生えてくるかもしれない」と言ったらしいのです。父は、私の指を持って近所の床屋へ一緒に行きました。私は何もわからずに父の隣に座りました。そうしたところ、父も私もカミソリを当てられて、それからすぐに、近所の写真館へ行き、二人のツルツル頭の記念写真を撮りました。私と父が家に帰ると母をはじめ家にいたみんながとても驚いて、一体どうしたの!という感じでした。子供時代のちょっと面白い思い出です。

ダニエル・ゲーデ さん / 音楽家

元ウィーンフィルハーモニー管弦楽団及びウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターを務めた。読売日本交響楽団のコンサートマスター。ニュルンベルク大学教授。

NHK 奇跡のレッスン「楽譜が物語に変わるとき 弦楽器 ダニエル・ゲーデ(ドイツ)」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3776/2549201/index.html

Q:少年時代のことについてお話ししてください。最初に。いつバイオリンを始められましたか?

A:6歳の時です。私には二人の兄弟がいて、兄がバイオリンを弾いていたので、自分も同じことをしたいと思ったのです。

Q:お兄さんが練習する様子を見たのがきっかけでしたが、ご自身は練習をすることはお好きでしたか?

A:いつも好んで練習していたわけではありません。一度は、全く練習をしなくなった時があって、両親がバイオリンを何処かにしまってしまいました。両親はレッスン料を払っているんだから練習するならバイオリンを持ってもいい、と言いました。私はバイオリン無しの状態に長く我慢できなくて、親に、どうかバイオリンを持たせてください、と頼みました。それで、練習もしました。

Q:いつ頃自分はプロの演奏家になるとお考えになりましたか?

A:それはわりと遅くて、確か16歳の時に自分も演奏家になれるかも、と思うようになりました。そして17歳18歳のころ、学校を出てから演奏家になる決心をしました。

Q:音楽学校に通われましたか?

A:いえ、語学の学校に通いました。ラテン語とギリシャ語の学校です。その間もずっとバイオリンの演奏を続けていました。その学校を終えて、バイオリンの演奏家になる決心をしたわけです。

Q:ウィーンフィルで演奏するようになって感じられたことは?

A:あのオーケストラは大変素晴らしい特別なソフトな音をもっています。とても楽しかったですし、本当に沢山のことを学びました。

Q:特定の指揮者との特別な思い出がありますか?

A:私はカルロス・クライバーと共演できたことはとても幸運でした。日本で5回ですね。先日お亡くなりになったクラウディオ・アバドなど数えきれないほどの素晴らしい指揮者と共演できました。

Q:それでは子ども時代の話にもどりますが、バイオリンの演奏以外にお好きだったことや趣味がありましたらお願いします。

A:私は自然が大好きです。私のおじいさんが田舎に家を持っていて、週末や休日をそこで過ごすのがとても好きでした。そこは農家の近くでしたので、たくさんの動物や大自然に囲まれたその場所が大好きでした。そしてスポーツも好きでサッカーも好きでしたね。

Q:楽器を始める子どもたちにアドバイスをお願いいたします。

A:まずは、とにかく楽しんでください。でも、もちろんよく練習して上手になってください。そうすると自信が持てるし、楽器で、もっといろんなことができるようになって、それがまた喜びを増やしてくれますよ。

Takashi Muto / Educator
無藤 隆 / 教育学者・白梅学園大学子ども学部教授

お茶の水女子大学附属小学校校長 お茶の水女子大学子ども発達教育研究センター教授 白梅学園大学・短期大学学長等を歴任し、現在は、白梅学園大学子ども学部教授、保育・幼児教育に関する政府審議会・調査研究会等の座長等も多く務めていらっしゃいます。

参考資料:http://ja.wikipedia.org/wiki/無藤隆